ティーパーティーにハンティング姿で臨んで謹慎処分となったり、正式な夜会にタキシードで出席したりもした。彼はある憲味で、ドレスコードの破壊者であり、新しいドレスコードの創造行であった。戦後、ウィンザー公夫妻はパリに落ち着いたが、パリではとあるビスポークシューズ(注文靴)のアトリエを愛した。ウィンザー公が生まれた翌年、イタリアのアドリア海に面したセニガリア出身の靴職人アレッサンドローベルルッティがパリにアトリエを開く。このベルルッティこそ、晩年のウィンザー公が愛したアトリエのひとつであった。1960年代のある日、ウィンザー公がオーダーした靴をピックアップするためにベルルッティを訪れた。応対したのは若きオルガ(現4代目当主兼チーフデザイナー)で、オルガはいつものように靴を履かせ、具合を確認し、紐を結ぼうとした。そのとき、ウィンザー公は優しい口調だがきっぱりとこう言った。「すぐに解けてしまうような結び方は、わかしは好きではない。朝、靴を履いて紐を結んだら、それは夜、脱ぐときまで解けないほうがいい」オルガはおずおずと訊いた。「どのようにしたらよろしいですか」するとウィンザー公は自ら、不思議な結び方を披露した。